物理的な自由

今日は、ナイターで、サッカーをしました。正確には、前日に足を捻挫してしまったので、プレーはできませんでしたが。。。

終電過ぎまで、関内で焼肉を食べていたので、家まで、友達に、原付で送ってもらいました(100ccの二人乗り可能なやつです)。

鎌倉街道を、上大岡方面に下って行ったのですが、なぜかとても解放的な気分になりました。この物理的自由を求めて、バイクを乗り回す若者たちの気持ちが、ちょっとわかった気がしました。テクノロジーの進化によって人間は、物理的(自動車、鉄道、航空)にも、コミュニケーション的(インターネット、携帯、ブラックベリー)にもどんどん自由になっています。

人は、どこまで自由になるのでしょうか?どこまでいけば満足するのでしょうか?小学校の時の塾の教科書に、ボルボックスという単細胞生物が、寄せ集まって多細胞っぽくなっている生物が載っていました。人間も、ボルボックスのようになるのではないかというのが、自分の仮説です。

人が、通信システム、交通システムを介してつながった社会自体が、ひとつの生命体のように感じられます。